昨日は父の命日でした。
目黒に墓参りに行ってきました。
4年前の7月29日、父が80歳で永眠しました。
本当に、眠るように…
震災から1年と4ケ月後のことでしたから、
寂しさもよりいっそうだった気がします。
父の墓前で手を合わせて、3 年が過ぎて
「気持ちも少し楽になりました」と報告しました。
生前の父と「最後は自宅」と話してましたから
約束通り、訪問医療とヘルパーさんのご協力をいただき
無事に自宅から見送ることができました。
あとで聞いたことですが
父は、7月に中旬頃から、
お医者様や看護師さん、ヘルパーさん、訪問してくれた方々に
「ありがとうございました。お世話になりました。
もう、あまり無理をしないでください…」と、
一人ずつご挨拶をしていたそうです。
母にも「いろいろありがとう…」とはっきりとした口調で言ったたそうです。
母は、そんなこと言うなら「紀子(私)を呼ぶから…」と言ったそうですが、
父は「あれは(山口弁)、まだいい」と言ったとそうです。
実は、父が元気な頃に、2つのことを約束していたのです。
70歳をすぎて、病院通いが増えた父に
「最後はどうするの、自宅がいい?病院がいい?」
「そりゃ〜、お前、自宅だよ。絶対自宅だ、ばあちゃんみたいに!」
さらに、祖母の葬儀のあとに、父とどんな葬儀がいいの?
「やっぱり、新しい感じで…、“麻雀葬” みたないのがいいか〜」
とドライな会話をして、結構マジな約束をしていました。
「最後は自宅」という約束は、母の頑張りもあって果たせたものの
もう1つの約束が残っていました。
ですから、私には挨拶がなかったのだと思います。
父は“大の麻雀好き”でした。
亡くなる2ケ月くらい前まで、毎週土曜日の午後
自宅に父の麻雀仲間が遊びに来て、母も交えて4人で電動雀卓を囲んでいました。
週末の麻雀日をずいぶん楽しみにしていました。
以前入院した時にも、麻雀ゲーム持参でした。
麻雀ゲームは、私の知る限りで3台潰しています…
「コンピューターは強い!」とか言いながら
しっかり対戦スコアもつけていました。
とにかく無類の麻雀好き
建築家の父ですが、
若い頃は雀牌を握らない日がなかったとか…
私も、3歳の時から父の膝で大人の麻雀を見学。
そして、小学校3年の頃には、一緒に麻雀させてもらい
大学生の時は、帰省するたびに麻雀でした。
父には、麻雀の他にも鮎釣りやドライブなどの趣味がありました。
私が釣りが好きなのも、ドライブ好きなもの
思えば父の影響そのものです。
まぁ、そんな具合に似た者父娘でしたから
父の葬儀は、約束通りの麻雀牌を花で作ってもらいました。
カラオケでいつも歌っていた曲が流れ
鮎釣りの道具や趣味の品が
会場入り口に並べられ、
皆さんにも、父の思い出をたくさん語っていただきました。
父との2つめの約束も、たぶん満足してくれたと思います。
でも、父が、最後に皆さんに「ありがとう」と
感謝の気持ちを伝えてお別れの挨拶をしたことは
本当に素敵なことだと思います。
「お別れのありがとう」が残せるように、しっかり生きたいと思います。